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「家畜人ヤプー」:私たちは平等に価値がない [小説]

 奇妙なものです。遠い未来、日本人が奴隷以下の存在、家畜人ヤプーとして使役され、各種肉体改造までほどこされ、身長12分の1以下のピグミーから巨大化された人間馬まで、はては食用から人間便器から自慰道具に至るまで、いかに家畜以下の存在として扱われているかを克明に描いたこの小説。さらに社会の中程には半分だけ人権を認められた黒人奴隷がいて、一番上には白人がそれも女性上位の社会を形成して君臨するという、差別に充ち満ちたこの小説。
 それを読み終わって、私がまず思い出した事はかのスタンリー・キューブリック監督の名作映画「フルメタル・ジャケット」におけるハートマン軍曹の名台詞、「俺は厳しいが公平だ 人種差別は許さん 黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん すべて――平等に価値が"ない"!」でした。


 物語は現代より少し前の地球において、日本人男性と白人女性のカップルが時間旅行の末に不時着した未来人に拾われるところから始まります。貴族階級であるその女性に伴われて未来の世界へと連れて行かれた彼らはそこで、上記のような白人女性を頂点とし家畜人ヤプー(日本人)を底辺とした社会を目の当たりにし、やがてその社会の中へと取り込まれていきます。
 すなわち、お互いを対等なパートナーとして認め合っていた恋人達は、かたや貴族に、かたや家畜以下の存在へと分かたれていく事を、いつしか自然に選択するのです。
 どのようにして彼らがそうなっていくかは、物語の主軸ですからここで延々説明はしませんが、普通に説得力を持ってその過程は描かれています。主人公である日本人男性は、日本人である誇りを粉々に打ちくだかれ、歴史をさかのぼってまでその生い立ち、日本神話から天皇家に至るまですら未来人によって家畜に相応しく操作されていたことを知り、絶望というよりもむしろ粉々に破壊されたアイデンティティの末に家畜たることを自ら選ぶのです。

 この粉々の破壊っぷりは、読む側である日本人の読者にとっても非常に面白いものです。アマテラスがアンナ・テラスという白人女性であったり……。言葉遊びの点において、著者は実にイマジネーション豊かにもっともらしく語ってくれます。
 またそれは実に多種多様にわたるヤプーの肉体改造においても同様です。人間馬だとか河童だとか、懸命に一輪車を漕ぎながら手には剣と盾を持ち、頭にかぶった帽子からショーユを体内に浸透させられながら、じわじわと焼かれてその太股を食用に饗されるヤプー人の描写など、卓越したユーモアの存在を感じずにはいられません。


 もちろんその前段階として、これはとてもグロテスクな小説です。そちらの方向に耐性のない方にはあまりお薦めできるものではありません。肉体改造とかスカトロとか、そういうものですね。ただ、この手の歪んだ嗜好の小説というと、マルキ・ド・サドが代表的かと思うのですが、そちらに比べればこちらはだいぶ「乾いている」という印象です。
 すなわち、エログロが目的でこの小説を読もうという方には、それはそれでお薦めできない気がするのです。ヤプーの大きな利用目的は人間便器と各種セックスの道具であり、彼らがいかにそのために精神的肉体的に改造されているか、またどのように利用(使用)されているか克明に描写されてはいるのですが……。私が思うに、著者はサドとは違ってそういうことに性的な興奮を感じる人ではないのでしょう。属性がないといいますか。だから描写も淡々としている。
 彼の興味はむしろ、「差別」「日本人卑下」ということに徹底的に向いています。こちらには粘着なまでの執念、思い入れを感じます。それだけに、この小説はその部分(=被差別)において読む側に快感を提供する素材と成りうるのです。まったくもって皮肉な事ですが。


 私がもし白人でこの小説を読まされたら、「なんの嫌がらせだ!?」と思うだろうなと考えながら読んでいました。これは日本人であるからこそ楽しめる類の小説です。また、日本人であるからこそ、楽しまないと損であるという類の小説です。例えば右翼や左翼の皆さんは、それぞれにこれを読むと激高しそうなところがあるのですが、まあ一つ笑って仲良くしなさいとそう言いたい、そんな類の小説です。

 どうしてか。まあ簡単に言えば、この手の未来小説(SF)において快適な生活環境を満喫している人々、この小説でいえば支配階級である白人達、それがちっとも羨ましくないという一点に尽きます。そりゃ便利ですよ。寿命は長いし、各種生体家具(ヤプー)から受ける奉仕は知能の低い動物また機械などには及びもつかない快適さであることは、分かります。他にも色々楽しいことがあって、社会もしっかり機能していることも分かります。
 でも羨ましくない。

 ヤプーというアイデアは面白いですが、同じ人間を家畜としてなんとも思わず、各種肉体改造をグロテスクとも思わず、食人のタブーをタブーとして認識せず、その上に享受する快適さなんて、羨ましくともなんともない。いやまあ、それは私がイース人(未来人)ではなく現代地球人だからだとは思うのですが、それにしたって……羨ましくないものはしょうがない。

 それで結局私は思うのです。「人間は平等に価値がないのだなあ」と。支配階級が被支配階級に向ける視線、差別するものが差別を受ける側に向ける視線というものは、結局自分に還ってきます。差別してなんとも思わない人間というのは、やっぱりその程度の人間にしか見えないのですよ。
 だからといって差別される側が偉いということもなく。ただ、人間はどこまでいっても人間である。同じ一つの秤に載せられた運命共同体である、そんな境地にまで達してしまいました。
 そしてとても愉快にこの小説を読みました。

 アマゾンのレビューには、「これはSF小説である」と書いたものがありますが、私もそう思います。このような世界があったら?あなたはどう思うか?そんなifを楽しみながら読めばいいのではないかと、またセンスオブワンダー、人間の想像力の不思議を楽しめばいいのではないかと思いました。
 これは別に奇書でもなんでもなく、差別小説でもなんでもない、ただの愉快な物語。
 私はそう思える自分の境遇に幸せを感じます。

家畜人ヤプー〈第1巻〉

家畜人ヤプー〈第1巻〉

  • 作者: 沼 正三
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 1999/07
  • メディア: 文庫

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