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「白い巨塔」:まるでガン細胞のように [小説]

 女性作家の中には希に、男性よりも男性を描くことが上手い人々がいます。この本の作者、山崎豊子もその一人です。
 財前五郎の魅力とは何なのか。天才的な外科医でありながら、傲慢で権力欲が強く、出世に飽くなき情熱を燃やす一方で、成り上がり者ならではの小心さ、土壇場での弱さも持つ。ダークヒーローというにはあまりに泥臭く、格好良さというものがありません。しかしどうしようもなく惹かれる"臭い"があります。フェロモンというものでしょうか。
 不完全だからこそ、みっともないからこそ、どうしようもない、私が支えてあげないとずぶずぶ惹かれてしまう、そんな魅力です。

 一方で、もし私はこの世界に生まれ変わるならば、財前五郎のように生きたいと思いました。彼と対のようにして描かれる里見脩二の、清廉潔白で、正義のためならば不利益を被ることもおそれない生き方は美しい。しかし美しいがゆえに思い描くことは容易です。実行することだけが、とても難しいのです。
 財前五郎の生き方は、ジェットコースターにも似て先の見通しがつきません。その中をただ自分一人の力と意志を持って生き抜いていくことは、「生」そのものであるように思います。

 ただ、この世の大勢の人に理解されるかは分かりません。作者はおそらく財前の生き方に惹かれていたのでしょう。当初、この本が連載された時、財前は人生の栄光をつかんだまま話を終えます。しかし世の反響が大きかったために書かれた続編では、うって変わって彼の転落が描かれていくのです。
 それでもとことんまで落ちるのではなく、途中で死という形で人生を打ち切られたことは、作者の財前への抑えきれない執着であるような気がしてなりません。

 しかし私は……誰かがやらなければならないと思うのです。恵まれた人が恵まれた道を歩み、上に行くこと。清廉潔白な人が潔白なまま、相応の生を歩むこと。人の世はそれだけでは済みません。その下に、才能か人格か生まれか、何かが不足して、ゆえにそのままでは上になど決して行くことが出来ない人達がいるのです。
 そんな人達がそのまま沈んでいく世の中が正しいのか。そんな人達が泥臭く這い上がる世の中は間違っているのか。そんな人達が引っかき回す世の中こそ、この世のあるべき姿ではないのか。なぜなら、この世界には恵まれた人より恵まれない人が、人格者より非人格者のほうが多いのですから。
 財前五郎はダークヒーローなどではなく、ただの等身大の人間なのです。

 それでも彼の生き方が、あるいは人格が正しいとは思いません。彼を「正しくない」と断じることによって、人々は自らを省み、襟を正します。

 誰かがやらなければならないのです。恵まれなかった我が身を世界に向かって打ち付け、それでも「正しくない」と断罪されることで、この世界を前に進めることを。……そう、まるでガン細胞のように。あるいはウィルスのように。
 人はそれをヒーローとは呼びません。それでも、誰かがやらなければならない役目なのです。
 人類はまだ、ガン細胞を克服することは出来ていません。


白い巨塔〈第1巻〉 (新潮文庫)

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